考えることの省エネやめようヨ
何かについて深く考えてみるってすごく意外と労力を使う気がします。だからこそ、それに対して省エネしがちだと思うんです。
私が思うに、人間にとって大切なことを考えてみる、学んでみる、お互いに意見を交換する、そこから行動を起こすことを省エネしてしまっては、なんかもったいないと思います。
せっかくのチャンスなのにぃ!
さてさて、
日本ってすごく不思議な国だと思うんです。
人によってはすごく生きやすくて…
だって、
コンビニとか便利だし〜
ある程度の物は整ってるし〜
銃とかその辺に中々ないし〜
しかしながら、
私には少し平和ボケに感じてしまいます。
確かに日本は他の国に比べたら、
ほんの少し安全かもしれません。
その安全ってどんな安全?治安?
気持ちの安全について考えたことはありますか?こっち、全然安全じゃないと思います。
もう2020年ヨ
私が今回話したいのはLGBTQと外国人への接し方についてです。外国人ってワードも最近、自分の中では違和感ですが…
LGBTQ
日本にいると、人によっては、あまり周りに沢山いるように感じないかもしれませんが、おそらくそれは日本がこのトピックに対してオープンじゃないから。
知らない方もいると思うので…
L = レズビアン
G = ゲイ
B = バイセクシャル
T = トランスジェンダー
Q = クエスチョン
〇〇であることを公表!とかも、
私的には?って感じです。
公表っていう立ち位置にある時点で、
日本って遅れてるなぁ〜って思います。
私の体験談
私はオーストラリアに2年間、
ニュージーランドに1年間いましたが、
どちらの国でもゲイ、レズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダーの友達が沢山できました。そして街中にも沢山いました。日本より人口の少ない国でですよ?
そして、
どちらの国でも日本よりもはるかにオープンなので、
皆さんわざわざ私は〇〇なの…
と言ったりしません。
どちらかというと、私は〇〇だから、男の人が好き、女の人が好き、どっちも好き だとか、
私は〇〇だから、こういう考え方になるんだよね〜とサラッと言います。
ニュージーランドでは、当時付き合っていた彼氏がサラッと俺バイセクシャルなんだよね〜と言っていました。
日本はなんでそんなに皆一緒がいいの?
最大の疑問です。
日本人って、まぁ私も日本人ですが、
なんでそんなにも周りと同じになりたがるのでしょうか?
周りと違うと、考え方が違うと、その人の個性を活かすのではなく、日本の見えないよくわからないでも普通という名の型にはめようとしてくる…
たぶん、外国人がまだまだ少ないっていうのも背景にある気がしますが…
あ!外国人!
私、正直びっくりします。
他国からの友人が多いため、一緒に遊んでると、街中を歩いてると、彼らに向かって普通に、聞こえて来る音量で、
「あ!外国人だ!」と言う子供たち。学生達。
外見で判断して英語で話しかける人々。
観光客でもない限り、そして今のこのコロナ渦は特に日本にいる他国の国の人々は日本語普通に話せます。そして、見た目で判断され、外国人と言われたり、英語で話しかけられたら、その度に、少し傷ついています。
大好きな日本にいるのに…
私、オーストラリアやニュージーランドで
子供や学生に
「あ!日本人だ!」
「外国人だ!」
「アジア人だ!」
なんて、言われたこと1度もありません。
日本語で話しかけようヨ
見た目でジャッジせず、まずは日本語で話しかけようよって思います。
通じなかったら英語を使えば良い。
私は自分の経験からそうしています。
皆と同じであることが決して必ずしも大切ではありません。
そう考えると、SMAPの世界にひとつだけの花って良い曲ですよね…
黙っていることが、声を上げないことが、自分の意見を言わないことが、いかなる時も美徳ではありません。
ではまた!
Follow me → @yukishudo